今日の一景
(223)
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四季の風景
春
三椏の花
(みつまたのはな)
三椏の季の空ろなるを埋めけり
(みつまたのきのうつろなるをうづめけり)
[注・それぞれ古語で、「き」とは時季、「うつろ」とは空白、「うづむ」とはうめる、の意]
1
枝先の花際までも三又なり
(えださきのはなぎはまでもみつまたなり)
[注・「はなぎは」の「きは」は古語で、あたり、付近、の意]
2
ミツマタ
インターネットの ウィキペディアフリー百科事典 によりますと
目
フトモモ Myrtales
科
ジンチョウゲ thymelaeaceae
属
ミツマタ Edgeworthia
種
ミツマタ E.chrysantha
学名
Edgeworthia chrysantha Lindl.(1846)
和名
ミツマタ
英名
Oriental paperbush
[ミツマタ]
ミツマタ(三椏、学名:Edgeworthia chrysantha)は、ジンチョウゲ科ミツマタ属の落葉低木。中国中南部、ヒマラヤ原産。皮は和紙の原料として用いられる。
[概要]
ミツマタは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分岐する特徴があるため、この名があり、三枝、三又とも書く。中国語では「結香」(ジエシアン)と称している。
春の訪れを、待ちかねたように咲く花の一つがミツマタである。春を告げるように一足先に、淡い黄色の花を一斉に開くので、サキサクと万葉歌人はよんだ(またはサキクサ:三枝[さいぐさ、さえぐさ]という姓の語源とされる。
園芸種では、オレンジ色から朱色の花を付けるのもあり、赤花三椏(あかは゛なみつまた)と称する。
[利用]
和紙の原料として重要である。ミツマタが和紙の原料として登場するのは、16世紀(戦国時代)になってからであるとするのが一般的である。しかし、『万葉集』にも度々登場する良く知られたミツマタが、和紙の原料として使われなかったはずがないという説がある。
平安時代の貴族たちに詠草料紙として愛用された斐紙(美紙ともいう)の原料であるガンピも、ミツマタと同じジンチョウゲ科に属する。古い時代には、植物の明確な知識が曖昧で混同することも多かったために、ガンピもミツマタを原料としたものも、斐紙と称されて、近世まで文献に紙の原料としてのミツマタという名がなかった。後に植物の知識も増え、製紙技術の高度化により、ガンピとミツマタを識別するようになったとも考えられる。
「みつまた」が紙の原料として表れる最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の慶長3年(1598年)に、伊豆修善寺の製紙工の文左右衛門にミツマタの使用を許可した黒印状(諸大名の発行する公文書)である(当時は公用の紙を漉くための原料植物の伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じていた)。
「伊州にては 烏子草、かんひ みつまたは 何方に候とも 修善寺文左右衛門 より外には切るべからず」
とある。「かんひ」は、ガンピのことで、烏子草が何であるかは不明であるが、ミツマタの使用が許可されている。
天保7年(1836年)稿の大蔵永常『紙漉必要』には、ミツマタについて「常陸、駿河、甲斐の辺りにて専ら作りて漉き出せり」とある。武蔵の中野島付近で漉いた和唐紙は、このミツマタが主原料であった。佐藤信淵の『草木六部畊種法』には、
「三又木の皮は 性の弱きなるを以て 其の紙の下品(品質が最低の意)なるを なんともすること無し」
として、コウゾと混合して用いることを勧めている。
明治になって、政府はガンピを使い紙幣を作ることを試みたが、ガンピの栽培が困難であるため、栽培が容易なミツマタを原料として研究し、明治12年(1879年)、大蔵省印刷局(現・国立印刷局)抄紙部で苛性ソーダ煮熱法を活用することで、日本の紙幣に使用されるようになっている。それ以来今日まで、ミツマタを主原料としている。
[耐用年数]
平成20年度税制改正において、法人税等の「減価償却資産の耐用年数表」によれば平成20年4月1日以後開始する事業年度にかかるミツマタの法定耐用年数は5年となった。
と説明されています。
3
三椏に律儀といふを慣らひけり
(みつまたにりちぎといふをならひけり)
[注・それぞれ古語で、「りちぎ」とは戒律を持し、礼儀正しいさま、「ならふ」とはなじむ、慣れ親しむ、の意]
4
俳句上
蔵書の 草木花・歳時記・春 によりますと
三椏の花
(みつまたのはな)
ミツマタ ジンチョウゲ科
ウメの花のころ、三又に分れた葉のない枝先に垂れてつく黄金色の花はかなり目立つ。花序には30~50個の花がかたまってつき、直径4~5センチになる。花は花弁がなく、細長い筒状のがくの先が4裂する。外側より内側のほうが黄色が濃い。
中国からヒマラヤ原産の落葉低木で、高さ2メートル前後になる。日本へは室町時代に伝えられ、和紙の原料として栽培された。栽培は暖地が適するが、和紙の名産地であった宮城県南部では野生化が見られる。花木として庭園に植えられ、赤花の園芸品種もある。 < 鈴木俊作 >
と説明されています。
5
御完読ありがとうございました。
(梨雨)