今日の一景
(158)
「花譜の館・別館」へようこそ。
神社
八釼神社
と
天然記念物
の
大イチョウ
風吹けば花も囁く大銀杏
(かぜふけばはなもささめくおほいてう)
[注・「ささめく」とは古語で、ささやく、の意]
1
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2
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八劍神社
(やつるぎじんじゃ)
由緒
によりますと
主祭神
日本武尊
(やまとたけるのみこと)
砧姫命
(きぬたひめのみこと)
合祀神社
保食宮・天津神社、国津神社・天満神社・多賀神社・宮地嶽神社・貴船神社
境内社
月読神社・馬野神社・天照大神社・猿田彦神社
由緒
第12代景行天皇の御代、日本武尊は筑紫の熊襲征伐の途次、この地で砧姫を娶られた。尊が東国征伐の帰途、崩御されたのを聞き、尊の仮宮跡に社祠を築き、「御館大明神」として祭るを当神社の起源とする。後に「八劍大明神」と改称。
文治元年(1185年)山鹿城主山鹿秀遠が、社殿を造営。その後も尚武の神として大内、小早川、黒田、と城主、国主により、5度、社殿は造営された。
当神社は、元は水巻の庄数ヵ村の産土神であったが、遠賀川の改修工事(1615年)により分村、分霊して、今では立屋敷区たけの神社となっている。
境内の大銀杏樹は、日本武尊のお手植えと伝承、樹齢1900年、県指定の天然記念物で、近郷はもとより遠方からも、多くの参拝があり、今も話をきいて祈願者がある。
社宝として壇ノ浦の源平合戦の戦勝祈願に、山鹿秀遠が奉納した『県内最古の木造の狛犬と随神像』があり、町の文化財に指定され「水巻町歴史資料館」に展示されている。
社殿内の一対の大型絵馬は天保11年(1840年)近隣の20ヵ村で祈願奉納したもので、裏面に作成経過が詳しく書かれ民族資料としても、貴重なものとされている。境内のチシャの木は県内第3の巨木で町の指定文化財である。
合祀の「保食宮」は古来より五穀豊穣祈願の郡宗社であった。寛文10年81670年)蝗害発生の際、当村の倉富吉右衛門が、「この神のお告げを受けて、鯨油を駆除剤に使い害を免れた」と人々に伝えた。その後九州はもとより、西日本一帯までにも拡まった。
これが「日本農業の害虫防除の始まり」とされている。
この御神徳により享保17年(1732年)黒田継高公の命により「筑前国総鎮守の社となったが、明治17年八釼神社に合祀。
堤防上の2本の 夫婦銀杏樹 は当時の境内樹である。
祭事
(行事)
1月1日 歳丹祭(迎春火まつり)
4月18日 春祭(3月市)
7月末の日曜日 夏越祭(ちの輪くぐり、子供相撲奉納)
7月18日 秋祭り(おくんち)
12月18日直前の日曜日 お宮座
と説明されています。
3
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構ひて戻らむ契りの大銀杏
(かまひてもどらむちぎりのおほいてう)
[注・それぞれ古語で、「かまひて」とはきっと、「もどる」とは帰る、「ちぎり」とは誓い、約束、の意]
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教育委員会
の
立て看板
によりますと
福岡県指定天然記念物
八劍神社の大イチョウ
所在地
福岡県遠賀郡水巻町立屋敷三丁目13蕃30号
所有者
宗教法人八劍神社
法量
樹高
22.26メートル
幹周囲
9.7メートル
推定樹齢
1900余年
指定年月日
昭和53(1978)年3月25日
[伝説・由来]
イチョウは2億数千年前に出現し、最盛期には15種類もありました。気候の変動などではほとんどが絶滅してしまい、現在ではアジア地域に1種類しか自生していません。
八劍神社の大イチョウは雄株の古木で、神社の由緒には、日本武尊が熊襲征伐の時に立屋敷に立ち寄り、讒言により都からこの地に逃れてきた砧姫という娘と結ばれて、その証として植えられたものと記されています。
江戸時代の地誌『筑前國續風土記拾遺(ちくぜんのくにしょくふどきしゅうい)』に巨木と記され、その後、明治 45(1912)年、境内の東側に東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)の筆による「霊樹碑(れいじゅひ)が立てられました。さらに、大正3(1914)年の『大日本老樹名木誌(だいにっぽんろうじゅめいぼくし)』には、「日本武尊御手植ノ
公孫木」として紹介されています。
ところで、慶長6(1601)年、この周辺の砧姫墓といわれる小山から鏡などの出土品が見つかり、鏡はその傍らにお堂を作って祭ったということです。
イチョウの枝には、気根と呼ばれるこぶがあり、母の乳房に似ていることから、皮を煎じた汁を飲むと母乳の出がよくなると伝えられ、昭和30年代までは母娘連れの参拝者も多く、お礼参りの煎じかすを収めた袋が近くに吊り下げられていました。
一方、近年イチョウの遺伝学的な研究によって、同じ遺伝子をもつものが、韓国慶尚南道亀尾(きょんさんなんどぐみ)市や島根県太田市などに所在することがわかり(平成18年段階)、いずれも推定樹齢600年以上といわれています。
イチョウがいつごろ中国や朝鮮半島から2本に伝来したのかは諸説がありますが、その手がかりとなるもので興味深いものです。
※東久世通禧(1834~1912)江戸時代末期、明治事態゛意初期の公卿、政治家。元老院、枢密院の各副議長を努めました。【水巻町教育委員会】
と説明されています。
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ご完読ありがとうこざいました。
なお
本ブログは
続く、この大銀杏黄葉、県道の夫婦銀杏黄葉のブログの
予備知識
をお持ちいただくために前篇として急遽作成したものです。
画像は、2009年6月26、9月27日に撮影したもので機器、技術とも劣っております。
その点、ご容赦のほどを !
(梨雨)