「花譜の館」へようこそ。
故郷(ふるさと)へ錦飾りぬ 蕎麦(そば)の花
1
「花譜の館」へようこそ。
本日(11月6日)の天気予報は、晴れのち曇りでした。
本日の投稿のテーマの花は、一昨日、北九州市門司区の市立白野江植物園に行った時に、花の谷にて可憐な赤い花を畑いっぱいに咲かせていた赤蕎麦(あかそば)の花と決めました。
赤蕎麦(あかそば)の花と、そこからわずかに見える周防灘(すおうなだ)を同時撮影していなかったこと、それに、違う場所で、花をつけていた冬桜(ふゆざくら)の一樹を撮影したものの、300㎜の望遠レンズを持って行っていなかったため、撮影した画像が小さく、残念に思っていたことから、青空や青い海などを背景の再撮影を望んでいたところ、本日の天気が、昼まで晴れという予報が出ており、早朝に起床して、準備をし、車を出しました。
空には白い雲が半分、青空半分といった天気でした。開館の午前9時を期して入園しました。空は北の雲が随分立ち去ってはいたものの灰色に近い水色で濁っていました。入園してすぐに居合わせた若い男性職員に、分らなかった小さなキク科の花の名について質問しました。
1 ユリオプスデージーのような黄色ではあるが、小さいキク科の花
2 ヨメナのような小さな薄紫のキク科の花であるが、花弁の数が少なく細い花弁をつけた小さな花
でした。
その男性職員は、一旦管理室に行き、冬桜(ふゆざくら)の方に行く私を追いかけてきて
1 については黄色い菊の名を シマカンギク と
2 については、花の谷まで一緒に行き、ノコンギク と教え花弁を千切って、1枚ごと根元に羽根のような毛
が1本づつ付いているのを掌の上に載せ教えてくれました。
そうして、私が花の谷の畑に植えられている赤蕎麦(あかそば)は、高嶺ルビーでしょうと問うと、男性職員は、
高嶺ルビー・2013という種で、ある教授が、ヒマラヤの蕎麦を改良した高嶺ルビーをさらに改良したものです。
と教えてくれました。
ボタン公園にて冬桜(ふゆざくら)を濁った水色の空を背景にするなど撮影した後、花の谷に行き赤蕎麦(あかそば)の花を撮影しました。
その後花の谷に行き、赤蕎麦(あかそば)の撮影をしましたが、期待していた背景の周防灘(すおうなだ)の海の色は濁った空と区別がつきませんでした。結局は山頂まで登り、周防灘を撮影することに切り替えました。
2
アカソバの花
を
説明する前にソバ一般について説明します。
蔵書の 歳時記・草木花・秋 によりますと
蕎麦の花
(そばのはな)
ソバ タデ科
中国の雲南地方原産の1年草で、日本へは8世紀以前に朝鮮半島を経て渡来したとされている。茎は赤みをおびて高さ1..2メートルほどになり、葉はほぼ三角形で柄がある。秋に直径5~6ミリの白い花を穂状につけて一面に広がる田園風景は、どこか郷愁を誘う。収穫までの期間が短く、荒れ地にもよく育つため、他の作物を栽培しにくい山間地などでよく見られる。
多くの品種があるが、作物としての改良は完成しておらず、果実は熟すと脱落してしまう。果実は三角錐で、製粉したそば粉は栄養価が高く、コムギよりタンパク質やビタミン類が豊富である。そば(そばきり)にする食べ方以前の蕎麦粥や蕎麦掻(が)きなども味わいがある。原産地には花がピンクの種類があり、日本でも北海道や東北地方の一部などで栽培されている。蕎麦狩(そばがり)は冬の季語。 < 鈴木俊策 >
と説明されています。
3
1花だけ白花が混じっていました。
アカソバ
インターネットによりますと
赤そばの里(箕輪町)
高嶺(たかね)ルビー
赤そばの話し
日本のそばの花は白色ですが、そばの原産地の雲南省からヒマラヤにかけては、ピンクや赤色のソバがあります。
1987年にヒマラヤの標高3800メートルのところから、赤い花の咲くそばを日本に持ち帰り、信州大学の氏原暉男教授(現名誉教授)がタカノ株式会社(宮田村)と共同で品種改良を行って、真紅の花を作り、高嶺ルビーと名付けました。
このそばは、花を楽しむばかりでなく、味も良いので、また見て楽しみ味わうといったところでしょうか。
信州伊那高原・赤そばの里
遊休地の活用と名作作りのため、「高嶺ルビー」という赤い花の咲くそばを標高900m、東京ドームほどの広さ約4.2haの広大な畑で栽培されています。
今では、近隣で有数の観光地となり、毎年9月下旬ころから10月上旬ころまで一面、赤いじゅうたんのように
華麗に咲き乱れます。
と説明されています。
ということで、この畑の赤蕎麦(あかそば)の品種が
高嶺ルビー・2013
と言われる理由が解りました。
4
5
現地の 赤蕎麦畑の立札 によりますと
赤ソバ
タデ科 ソバ属
蕎麦はまだ花でもてなす山路かな
松尾芭蕉
ソバと言えば白い花が一般的であるが、ピンクや赤色のものもあります。
中国南部が原産で、朝鮮半島を経て古くに日本へ渡来した作物です。一説によると縄文時代にはすでに食されていたとも言われています。
ただし、今のように麺状にして食したのは江戸中期のちで、それまでは「かきそば」などが主だったようです。
冷涼な気状や乾燥に耐え、やせ地でもよく生育します。また種まきから、2~3ヵ月で収穫できることから飢饉などの食料不足をしのぐために栽培する救荒作物としても古くから利用されてきました。
※11月下旬開花予定
と説明されています。
赤蕎麦(あかそば)や 筑紫の雲に茜(あかね)さす
[注・「あかね」とは古語で、ややくすんだ赤色、の意]
6
7
8
赤蕎麦(あかそば)の海へ連なる畝(うね)幾多
注、「うね」とは
畑に作物の種をまいたり、植えつけたりするために溝を切り、その土を細長く盛り上げたもの。
9
10
四季の丘・山頂への紅葉なった山中
11
四季の丘・山頂の展望台より周防灘の蕪島(かぶらじま)を望む。
12
赤蕎麦(あかそば)の奥床(おくゆか)しきかな花畑
13
(梨雨)