今日の一景
(200)
「花譜の館・別館」へようこそ。
和気清麻呂
(わけのきよまろ)
と
道鏡
(どうきょう)
事件
神社
葛原八幡神社
(くずはらはちまんじんじゃ)
小倉北区・葛原4丁目
清麻呂の捲土重来脚癒えて
(きよまろのけんどちょうらいあしいえて)
[注・「けんどちょうらい」とは一度敗れた者が、再び勢力を盛り返してくること、
「いゆ」とは古語で病気や傷が治る、の意]
1
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2
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3
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葛原八幡神社
(くずはらはちまんじんじゃ)
ご祭神
[左殿]
神宮皇后
(じんぐうこうごう)
[正殿]
応神天皇
(おうじんてんのう)
[右殿]
和気清麻呂
(わけのきよまろ)
4
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初詣肖りたきは至誠なる
(はつまうであやかりたきはしせいなる)
[注・「あやかる」とは古語で影響を受けて変わる、
「しせい」とは極めて誠実なこと、またその心。真心。の意]
5
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和気清麻呂
(わけのむきよまろ)
と
御神託
(ごしんたく)
インターネットの宇佐神宮のホームページ 和気清麻呂とご神託 によりますと
神護景雲3(769)年、女帝・称徳天皇(複祚 : 孝謙天皇)の寵愛を受け、しばしば政治に介入していた 僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)は皇位を狙い、「道鏡を皇位に就かせたならば国は安泰である」とするお告げが宇佐八幡大神よりおろされたと太宰主神(だざいのかんづかさ)習宣阿曾麻呂(すげのあそまろ)という者にうその奏上をさせます。
宇佐神宮を深く崇拝になっておられた天皇は、真相を確認するため、すぐに官僚であった和気清麻呂公を派遣します。公は出発に際して次のような歌をお作りになりました。
西の海たつ白波の上にして なにすごすらんかりのこの世を
清麻呂公は都を立って10日余りの旅程で宇佐神宮に着き、斎戒沐浴して神殿にぬかづき、神護景雲3(769)年7月11日、
「我が国は開闢(かいびゃく)以来、君臣の分定まれり、臣を以って君となすこと未だあらざるなり。天津日嗣 (ひつぎ)は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除(そうじょ)すべし。」
とのお告げを受けます。
そこで八幡大伸託宣記2通を作り、1通は神宮に納め、1通を陛下へご報告するものにして、同月の21日に都に帰り着き御所へ報告しました。このとき清麻呂公は37歳でした。
道鏡の怒りをかった清麻呂公は、別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させられて脚(あし)の腱(けん)を切られた上、大隅の国へ流されました。
その途中、暗殺を謀って送られた道鏡の刺客(しかく)から、突然の天地雷鳴や300頭あまりの猪の大群が和気清麻呂公を護り、さらに宇佐へ詣でたところ、道鏡に傷つけられた脚が回復するなど、八幡大神のご守護により数々の奇跡がおきたと伝えられています。
翌年の神護景雲4(770)年8月4日、天皇が西宮神殿で崩御、光仁天皇がご即位になって年号を宝亀と改め、同年9月6日清麻呂公は召し返され、翌宝亀2(771)年3月29日には元の位に着き、9月16日に薩摩の国員外の介に任ぜられたが、間もなく豊前の守(かみ)に還されました。
公は古事にも通じ「民部省令(みんぶしょうれい)」や「和氏譜(わしふ)」を著し、当時の大事業である平安遷都の大功を残しました。又道鏡は冠位をはがれ、下野の国薬師寺別当として赴任(ふにん)させられましたが、宝亀3年4月7日にその生涯を閉じました。
このようにして、宇佐神宮の国体擁護のご神徳と、和気公の至誠(しせい)の精神とが皇室をご守護することとなりました。
この後、宇佐神宮への勅使を宇佐使(うさづかい)また和気使(わけづかい)といい、和気氏が派遣されるのが例となりました。
清麻呂公は当宮末社、御皇(ごおう)神社に祭祀されています。
と説明されています。
雷雲や命賭けなる猛抗議
(らいうんやいのちがけなるもうこうぎ)
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清麻呂も初日拝みぬ足立山
(きよまろもはつひをがみぬあだちやま)
日本後記、水鏡によりますと
大隅から流れ着いた清麻呂公に宇佐の八幡神は
「之より西方17里の企救郡竹和山の山麓に温泉があり此処に浴せば脚は必ず癒(いえ)る」
とお教えになりました。
清麻呂公が、その神託のままにまに温泉に浴すと数日にして足が立ち、
それからこの山を「足立山(あだちやま)」と呼ぶようになりました。
湯川水神社の境内に今も湧き出ています。
と説明されています。
右手の高い山が足立山
左手の山が妙見山と思われます。
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新年や清麻呂公屹立する
(しんねんやきよまろこうきつりつする)
[注・「きつりつ」とは高く堂々と聳え立つ、の意]
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御完読ありがとうございました。
(梨雨)
画像は、2009年9月13日のものでお見苦しきは何とぞご容赦お願い致します。
(山塔梨雨)
こと
ルリの川蝉