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四季の風景・秋~冬-八劍神社・直近上・県道73号線の左右に移置する通称・対の銀杏(ついのいちょう)こと夫婦銀杏(めおといちょう)黄葉-今日の一景(171)-水巻町立屋敷

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今日の一景
(171)
 
花譜の館・別館」へようこそ。
 
四季の風景
秋~冬
 
黄葉
 
八劍神社
(やつるきじんじゃ)
直近上
 
県道73号線
左右に位置する
 
通称
(つい)の銀杏
こと
夫婦銀杏
(めおといちょう)
黄葉
 
もみぢして銀杏の狭間の風変はる
(もみぢしていちゃうのはざまのかぜかはる)
 
 
北(芦屋町)
イメージ 1
南(中間市)
向って左は遠賀川、右の坂下に八劍神社の鳥居が見える。
 
 
夫婦銀杏
(めおといちょう)
 
八劍神社配布の 八劍神社由緒 によりますと
 
主祭神
日本武尊
(やまとたけるのみこと)
砧姫命
(きぬたひめのみこと)
 
合祀神社
保食宮・天津神社、国津神社・天満神社・多賀神社・宮地嶽神社・貴船神社
 
境内社
月読神社・馬野神社・天照大神社・猿田彦神社
 
由緒
 
   第12代景行天皇の御代、日本武尊は筑紫の熊襲征伐の途次、この地で砧姫を娶られた。尊が東国征伐の帰途、崩御されたのを聞き、尊の仮宮跡に社祠を築き、「御館大明神」として祭るを当神社の起源とする。後に「八劍大明神」と改称。
   文治元年(1185年)山鹿城主山鹿秀遠が、社殿を造営。その後も尚武の神として大内、小早川、黒田、と城主、国主により、5度、社殿は造営された。
   当神社は、元は水巻の庄数ヵ村の産土神であったが、遠賀川の改修工事(1615年)により分村、分霊して、今では立屋敷区たけの神社となっている。
   境内の大銀杏樹は、日本武尊のお手植えと伝承、樹齢1900年、県指定の天然記念物で、近郷はもとより遠方からも、多くの参拝があり、今も話をきいて祈願者がある。
   社宝として壇ノ浦の源平合戦の戦勝祈願に、山鹿秀遠が奉納した『県内最古の木造の狛犬と随神像』があり、町の文化財に指定され「水巻町歴史資料館」に展示されている。
   社殿内の一対の大型絵馬は天保11年(1840年)近隣の20ヵ村で祈願奉納したもので、裏面に作成経過が詳しく書かれ民族資料としても、貴重なものとされている。境内のチシャの木は県内第3の巨木で町の指定文化財である。
   合祀の「保食宮(うけもちぐう)」は古来より五穀豊穣祈願の郡宗社であった。寛文10年(1670年)蝗害発生の際、当村の倉富吉右衛門が、「この神のお告げを受けて、鯨油を駆除剤に使い害を免れた」と人々に伝えた。その後九州はもとより、西日本一帯までにも拡まった。
   これが「日本農業の害虫防除の始まり」とされている。
   この御神徳により享保17年(1732年)黒田継高公の命により「筑前国総鎮守の社」となったが、明治17年八劍神社に合祀。
   堤防上の2本の 夫婦銀杏樹 は当時の境内樹である。
 
と説明されています。
 
 
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2、3、は遠賀川河川敷より逆光撮影
 
 
水巻(みずまき)町歴史資料館館 「資料」 によりますと
 
保食神社
(うけもちじんじゃ)
(抜粋)
   今は八劍神社に合祀されているが、昔は宗社として郡内農民の厚い信仰に崇められた時代があった。明治 17年維持困難なために、南西の堤防の丘の上にあった神殿を移したが、後にその神殿は八劍神社となって保食宮はそれに合祀される形となった。
(中略)
今の堤防の上、2本の銀杏の木を中心に西南に向って鎮座していた。この銀杏は神社の奉建または再建記念として植えられたと見ても、600年以上は経っていると見られる。このことを遠賀郡誌は「社殿に本社古へは大社にて神領も多かりしに大永の末より九州兵乱絶ゆることなく神領も横領せられて無くなりたるに小早川隆景筑前をせらるるに及び神殿を造営し神領を造営し神領を寄付せられたるに義子秀秋の代に至りて悉くこれを没収せらるる」とある。
 
と記載されています。
 
また別の資料の 水巻(みずまき)町誌 によりますと
抜粋
   水巻山(みまきやま)については、立屋敷の遠賀川土手に2本の大銀杏のある保食神社跡をさすが、ここは遠賀土手のなかった時代は、中洲のなかの小さな山であった。
 
と記載されています。
 
また、保食(うけもち)神社は下宮に馬野(まの)神社を持っていたとなっています。
保食(うけもち)神社は相当な神殿であったようです。
明治になって堤防を築くため、水巻(みまき)山を崩し、
社を現在の八劍神社の位置(丘の下)に移したのです。
では何故保食神社の名を新しい八劍神社の名に差し替えたのでしょうか。
皇統主義がそうさせたのではないでしょうか。
そうして、八剱神社が保食神社を、合祀したと作り逆転しております。
保食神社が八劍神社を合祀したなら理解できるのですが、
現八剱神社の大銀杏が遺伝子的に600年と言われております。
日本武尊・お手植えで樹齢1900年とありますが、荒唐無稽で疑義があります。
[対の銀杏]も600年と言われており、関連深いものがあります。
これは私の推測ですが、
保食神社だと、五穀豊穣の神ではありますが、
口から食物になる草木穀物を吐き出すウケモチ大神であり、汚いとされており
それよりも日本武尊の方が外聞にも良かっただろうと思われます。
保食神社の奉建当時、そこに大銀杏も植えられたのではないでしょうか。
銀杏は丘の上下に植えられたものと思われます。
私が望むことは、
この二本の夫婦銀杏も県指定の天然記念物にしていただきたい
ということです。
県道に相対して珍しいことには違いないでしょう。
この夫婦銀杏の所有者は誰なのでしょうか。
神社庁、道路管理者の県が考えられます。
町は、その指定へ向けて、行動していただきたい。
というのも、平成21年3月発行の、
総合学習副読本
の132頁の校区名所案内の2番
で写真つきで、[対の銀杏]として紹介しています。
是非、天然記念物に、!
 
 
 
 
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祭神の去りて黄葉や夫婦銀杏
(さいじんのさりてもみぢやめをといちゃう)
 
 
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黄葉散る流れ雄々しき遠賀川
(もみぢちるながれををしきおんががわ)
[注・「ををし(形シク)」とは古語で、男らしい、勇ましい、の意]
 
 
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何故、保食(うけもち)神社が八劍(やつるぎ)神社と名を変えたのか?
何故、保食神社下宮の馬野神社が八剱神社の境内摂社になったのか?
御完読有難うございました。
(梨雨)
 
 

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